うさぎの穴とインターネット
「Human Resarch Lab 」では、「健康」「医療」を主たるキーワードとして、心理学研究の枠組みで、様々な情報をご紹介していきます。企業のマーケティング、広告宣伝といった広告・PR部門の方や心理学にご興味ある方にお役立ていただければ幸いです。
今回は、実務とは少し離れて心理学領域のお話で、「うさぎの穴とインターネット」というテーマです。
突然ですが、「うさぎの穴」と聞いて何を思い浮かべますか?
うさぎって穴を掘るんだっけ?とか、野生のうさぎってどこですごしていたっけ?とかいろいろご想像いただいたかもしれません。
この「うさぎの穴」という言葉。実は「うさぎの穴症候群」という陰謀論に関係した、心理学用語の1つなんです。
うさぎの穴症候群とは
うさぎの穴症候群(rabbit hole syndorome)1)とは、最初は不注意であったが、再帰的に加速し、脱出が困難になる症候群と定義づけられています。これは主に陰謀論と関連して用いられる現象です。わかりやすくいうと、最初は何の気なしに触れた情報だったのが、もっともっとそれにどっぷりはまるようになってしまうということです。2022年にイギリスのケント大学Robbie M. Sutton先生とKaren M. Douglas先生が提唱されたものです。
このうさぎの穴という比喩は、不思議の国のアリスから来ています。
そこで、興味しんしんになったアリスは、うさぎのあとを追っかけて野原をよこぎって、それがしげみの下の、おっきなうさぎの穴にとびこむのを、ぎりぎりのところで見つけました。
次の瞬間に、アリスもそのあとを追っかけてとびこみました。いったいぜんたいどうやってそこから出ようか、なんてことはちっとも考えなかったのです。
うさぎの穴は、しばらくはトンネルみたいにまっすぐつづいて、それからいきなりズドンと下におりていました。それがすごくいきなりで、アリスがとまろうとか思うひまもあればこそ、気がつくとなにやら深い井戸みたいなところを落っこちているところでした。
不思議の国のアリス, ルイスキャロル 第4章 ウサギの穴
これがなぜ陰謀論と結びついているのかというと、両先生曰く、陰謀論そのものは多くの人にとっては本質的には問題なくても、少数の人にとっては深刻な問題であり、結果として家族と疎遠になったり、社会的に問題になることを引き起こしたりするということで、このことは、国境を越えて指摘されています。
とある情報を信じるきっかけそのものは、ちょっとしたことであってもそこから抜け出せなくなる、ということで不思議の国のアリスのウサギが落ちていく穴に例えられたようです。
私が初めてこの言葉に出会ったのは、論文を執筆していた当時、大学院の指導教員の先生から、参考になるのでは、とご紹介いただいた論文2)がきっかけでした。
その論文を拝読しようと見た時に、タイトルに「Rabbit hole」とあるので、”心理学に何でウサギ??しかも穴??何かの見間違い?これは心理学ではなく文学の論文?”などと検討違いのことを思いました。
そこで、この論文を読み進めていくと、主軸は陰謀論で、日本におけるSNS上での陰謀論の広がりとその背景にある思想や、フォロワーたちの構成の話でした。私自身もインターネットメディアが心理に、そして特に意思決定に影響するプロセスを研究していますので、興味深く拝読しました。このようにインターネットの世界で起こりうる心理的な現象もいくつか指摘されています。
インターネットの中の心理学
ひとくちにインターネットの中で起こりうる心理的な現象は多くあり、まだまだ私でも把握しきれません。
インターネットの中での集団行動、インターネットの中での人格、インターネットの中での攻撃性やいじめ、インターネットの中における好意や恋愛、インターネットにおける向社会的行動、オンラインゲームの中での行動心理、インターネットと子どもの発達、インターネットにおけるジェンダー問題、インターネット依存…
少し横道にそれますが、私はスキューバーダイビングを趣味としているのですが、ダイビングの魅力の1つとして「地上の世界と同様に海の世界が広がる。私の人生の中で、見ることができるもの、感じることができるものが、2倍以上になる!」とよく友人に言っていました。そんな感じで、心理学の世界も、リアルの世界と同じくらいインターネットの世界でも心理学の広がりがあり、研究の領域が倍になるのではと思っています。
私はその中でもインターネットの情報、特に健康情報が意思決定にどのような影響をするのか、という研究テーマになるので、それに関連した現象をいくつかご紹介します。
フィルターバブル filter buble
「フィルターバブル」3) とは、アルゴリズムがネット利用者個人の検索履歴やクリック履歴を分析し学習することで、個々のユーザーにとっては望むと望まざるとにかかわらず見たい情報が優先的に表示され、利用者の観点に合わない情報からは隔離され、自身の考え方や価値観の「バブル(泡)」の中に孤立するという情報環境と定義されています。元々はアメリカのインターネットメディアのCEOが提唱したものです。問題点としては、一定の情報の中で孤立することや、それが目に見える形となっていないこと、そして自身が選択したわけではない情報に閉じ込められることだとされています。
エコーチェンバー echo chamber
「エコーチェンバー」4)とは共鳴室のことです。ソーシャルメディアを利用する際、自分と似た興味関心をもつユーザーをフォローする結果、意見をSNSで発信すると自分と似た意見が返ってくるという状況を、閉じた小部屋で音が反響する物理現象にたとえたものです。自分の発した言葉が共鳴し、増幅されて自分も影響され、結果として分断へのリスクとなりうることを現した概念で、アメリカの社会学者Sunsteinが提唱しました。もともとはエコーチェンバーによってアメリカの政治的思想において分断が起きていることから例えて表現されたことです。
集団極化 group polarization
「集団極化」5)とは、「集団極性化」ともいいます。意思決定がより極端なものになりやすいということです。エコーチェンバーの結果の1つの現象ともいえそうです。もともと人は集団を内集団と外集団に分けがちです。内集団は自分が属している集団、外集団はそれ以外の集団です。内集団に属する人に対して、ひいき目で見たり、有能だと思ったりする傾向があります。この内集団の中でもその傾向がお互いに強まる極化が見られます。インターネットではこの極化の場が多く見られます。リアルの場ではなかなか多くの集団と出会うこともないですが、インターネットではSNSで多くの集団を見ることができ、自分と同じ意見の集団に属する機会も多からだと思われ、特に集団内の意識を強く感じるときは集団極化が強まるといわれてます6)。
そしてこの集団極化は2つの方向に行きます。リスキーシフトとコーシャスシフトです。
リスキーシフトとは、集団における意思決定でリスクのある選択をとる方へ進みやすくなること。
コーシャスシフトとは、集団における意思決定で、より慎重に意思決定をする方向性へ進みやすくなること。
インターネットの中のつながりではリスキーシフトに振れやすいとされています。ただ、リスキーシフトも、必ずしもリスクをとる意思決定をする傾向になるということでもなく、もともと持っていた個人の意思が強まる、その中でもリスキーな意思決定をもしてしまうという解釈がなされているようです。いずれにしても、こういったインターネットの中での集団がリスキーシフトして、実際の行動にうつるときがこわいですね。
まとめ
皆さんも、何か健康について調べたいと思ったときに真っ先にインターネットで調べられるのではないでしょうか。特に健康づくり、という前向きな目的であればまだよいのですが、健康不安、例えば何か気になる症状があり、それについて調べようと思うと、重大な病気の可能性などの情報に行きつき、どんどん不安になっていってしまう…。このように、ネガティブな情報を調べる人はどんどんネガティブな情報を調べる傾向にあるようです。エコーチェンバーに陥り、フィルターバブルの中に入り、ネガティビティバイアス※7)に陥り、どんどん不安に… なんてこともありうるかもしれませんね。
※「ネガティビティバイアス」とは、ポジティブな情報もネガティブな情報も両方接していてもネガティブな情報の方が影響力が強いということ。
インターネットに限らず、触れる情報というのは偏ってしまうと、いいことは生みません。誰(どの組織)が、どのような目的で、どのような情報を発信しているか、という視点で、広く情報に触れることが大切なのかもしれません。そして、ふとした時に、別の情報源から収集したり、他の方の意見や感想を聞いたり…そういうことで、不注意にウサギの穴に落ちることは防げるのかもしれません。
参考文献
1) Robbie M. Sutton, Karen M. Douglas,Rabbit Hole Syndrome: Inadvertent, accelerating, and entrenched commitment to conspiracy beliefs,Current Opinion in Psychology,Volume 48,2022,101462,ISSN 2352-250X, https://doi.org/10.1016/j.copsyc.2022.101462.
2)Toriumi, F., Sakaki, T., Kobayashi, T. et al. Anti-vaccine rabbit hole leads to political representation: the case of Twitter in Japan. J Comput Soc Sc (2024). https://doi.org/10.1007/s42001-023-00241-8
3) Pariser, E.,(2011). The filter bubble: What the internet is hiding from you. Penguin Press
4) Sunstein, C.,(2001).Republic.com. Princeton Univ Dept of Art &
5) Stoner, J.A.F. (1961). “A comparison of individual and group decision involving risk”. Unpublished master’s thesis, Massachusetts Institute of Technology.
6)Spears, R., Lea, M. and Lee, S. (1990), De-individuation and group polarization in computer-mediated communication. British Journal of Social Psychology, 29: 121-134. https://doi.org/10.1111/j.2044-8309.1990.tb00893.x
7) R.F. Baumeister et al.(2001) Bad is stronger than good Review of General Psychology